本質という言葉

半年くらい前から、本質とか、本質的という言葉は積極的には使わないようにしている。
なんでかって、本質という言葉は、「自分が思うには」を意味しているような気がしてきたから。


本質的な問題→自分が(重要だと)思う問題
本質的な処理→自分がやりたい処理
それは本質的じゃない→それは自分が思っているところではない
本質を語ると→自分が(大事だと)思っていることを語ると
本質を見極めてくれ→エスパーしてくれ


たとえ大多数が本質だと言ったところで、それが本当の「本質」かどうかは分からない。
あってるかもしれないし、間違っているかもしれない。


その「みんなが言う本質」を受け入れられるか受け入れられないか、受け入れるか受け入れないかは人によって違うし、そもそも多数決で決まるようなものでもない。


自分の中では、本質という言葉はそんな曖昧(に思える)な言葉に成り下がってしまった。
と、言うことで、最近では安易に本質という言葉を使わないようにしているのでした。