Rubyが嫌いだった理由
学生の頃はRubyが嫌いで嫌いでたまらなかった。
p "Hoge, World!" if a > 0
なんて書けてしまえるくせにbegin-endだったりするところが嫌いだった。
10.times {|i| p i }
なんて書けてしまえるのに++がないのが嫌いだった。
nullじゃなくてnilなのが嫌いだった。
raiseとかrescueとか、もぉ勘弁してほしかった。
でも何よりも嫌だったのは、身近にいた自称Ruby使い。全然Rubyを知らなくて、RubyをCの延長線上にしかとらえてない。それどころか、オブジェクト指向をまるで理解していない。さらに、人の意見に耳を傾けない*1。
上にあげたとおり、言語に対する羨望もあった*2が、それよりもRuby使い==その人だったのが決定的だった*3。
今ではそんなことはない・・・と言えばウソになる。Rubyがかその人がかは分らないが、トラウマ的な何かになっていることも確かだ。人間できてなくて嫌になるけど、少なくとも学生時代よりRubyに対する嫌悪感や抵抗感は減った。
そんな自分が今Rubyをやっているのは必要に迫られたからでもなく、将来仕事で使いそうだから、というものでもない。単に、Rubyでプログラムを組むのが楽しいのだ。JavaやC++でプログラムを組むのも楽しいのだが、JavaにはJavaの、C++にはC++の、RubyにはRubyの楽しい部分がある。こういう楽しい部分があるのに、先入観だけで言語を避けてしまうのはとても悲しいことだと思う。
言語を学ぶのは自由だけど、誰かに強制されたり、他の言語と不用意に比べたりするのは違うと思う*4。そして、言語を学ぶ時はその言語に対する先入観はできる限り捨て、自分なりの言語像を作り上げていくのも悪くないと思った。